2/8(水)渋谷の宮益坂の上にある『シアターイメージフォーラム』でYOYOという映画を見てきた。
1965年に制作されたモノクロの映画です。
この映画の監督はクラウンをしていたこともあるピエール・エテックス。
『悲劇と喜劇』が演じられ『サイレントとトーキー』の演出があるとても面白い映画!
そして幼少期も成人しても幸福の象徴『ゾウ』によってyoyoは心身ともに助けられるとても心温まるエモく素晴らしい映画だった。
2/8(水)渋谷の宮益坂の上にある『シアターイメージフォーラム』でYOYOという映画を見てきた。
1965年に制作されたモノクロの映画です。
この映画の監督はクラウンをしていたこともあるピエール・エテックス。
『悲劇と喜劇』が演じられ『サイレントとトーキー』の演出があるとても面白い映画!
そして幼少期も成人しても幸福の象徴『ゾウ』によってyoyoは心身ともに助けられるとても心温まるエモく素晴らしい映画だった。
世田谷美術館で1/29まで行われている藤原新也さんの写真展『祈り』行ってきた
あまりにも近いのでうっかり行きそびれてしまうところでした。汗
写真とエッセイで綴る写真展。1+1=2ではなくそれ以上になる
写真には言葉は不要と言う人がいらっしゃいますが活字は感情を震わせ昂らせるのだ。
新年明けましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になりました。ありがとうございました!
健康で幸せな一年になりますように。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
12/24回目のワクチン接種を行う。
翌日想定内の37.8度まで体温が上がりその日は一日中寝込んでおりました。
でもって熱が下がった日曜日が土曜日のような感じでもちろん今日月曜日は日曜に思えなんか1日損した気分の今です!!
残っているレタッチを行い明日のロケ準をせねば、、、、。
明日はledを使用して新しい試みをする予定。。
楽しくなりそうです。。ではでは。。
先週久々に元同僚の蓮尾くんと一緒に鵠沼海岸にサーフィン行ってきた。
朝一はワイドのダンパーだったが2ラウンド目は潮が満潮に動き始めいい感じの波が入りだし結構ロングランディング出来て終わり頃はご機嫌だった。
帰りの車中の会話で私は若い頃から足や体が攣りやすい話になりサーフィン中に足がつったら命に関わるよねって話から蓮尾くんにツムラ68という漢方薬がとてもいいと言われお試し用に一袋頂いた。即効性があり駅伝の選手も走った後すぐに飲んでいるという事です。(未確認)
私の場合足がツルと言ってもふくらはぎ+向こう脛の横の筋肉が同時にツルので筋肉伸ばして治せる類のものでは無いのと太ももや背中などもツル事があり対処法がわからないのでただひたすら歯を食いしばって嵐の通り過ぎるのを待つ気分でこらえているのでツムラ68に期待している。
11月11日は親分こと早崎治先生の命日。
1993年に撮影中の転落事故で亡くなられてから29年。
訃報の連絡を電話で聞いた時、頭の中が真っ白になったことを今でもよく覚えております。
親分はちょうど60歳だったので来年親分の年になってしまう。
今年は早崎時代の仲間と乃木坂に在る教運寺にお墓参りに行ったのですが偶然奥様の留美さんとお逢いできてその後近くのMercedes meの中に入っているカフェで皆んなとお茶をしながら親分のお話をしました。
きっと親分が留美さんと逢わせてくれたのだと思う。
その後、留美さんと別れて新宿に移動してハルクの中に入っている『六本木 樓外樓飯店 新宿店』で早崎スタジオで食べていた思い出の『海老とモツの汁蕎麦』を昔話や現状報告などしながら楽しく啜った。。
来年はまた逢いに行きます。。
この映画を見た後に米アカデミー賞で、妻を侮辱された俳優のウィル・スミスさんが司会のクリス・ロックの顔を平手打ちした映像を見てその後の日本と世界の世論の違いに複雑な気持ちになった。
私がウィル・スミスさんだったらなにをしたのだろう。。。。
映画の後はルーティーンとなっている新宿ハルク8F樓外樓飯店でエビモツの汁蕎麦!
この手の作品はとても苦手です。
なぜならまぶたが晴れて目が充血するから、、、
この作品はお涙頂戴のシーンが少ないがその分とても切ない。
最初のお母さんの言葉『最後まで生きるのよ。。。。』
この段階で私はボロボロです。
少ない言葉だからこそ見る側に色々と想像してしまう。
この手の作品はとても苦手です。
昨年の12月に澤田スタジオのサーバーがマルウェアに感染していたようでサイトの中身が改ざんされておりアクセス不可になってしまった。
澤田スタジオのhp.blogなどのweb関係を当初よりお願いしている知人のT城さんに頼んでひとまずhpで不審なファイルを削除し、改ざんされたファイルを修復してアクセス可能にしましいただきました。
そして先日ブログも復活したのでテストを兼ねて今回アップしています。
T城さん曰く共用サーバだと最近よくあるようで年間更新で少し値が張るが通信を暗号化するSSL証明書の導入をお勧めされたのでこれを機に導入しました。
8/18の話
2〜3日前から調子が悪かった次男naoがPCR検査陽性で私も濃厚接触者として世田谷保健所から指定された。その日のうちに保健所の指示でPCR検査を受けたが結果は陰性だった。
濃厚接触者ということで外出制限が14日間と定められてしまったので8/23日からの写真展のオープニングには在廊出来ないことが決定してしまった。トホホ。。。
展示が前日の8/22なので発熱していない8/19に展示用のプリント(ブックマット仕様)を一式ギャラリー蒼穹舍に宅急便で発送したのが良かった。
20日に発熱したので再度PCR検査を受けたが結果陰性。。。
8/23には高温となったので3度目のPCR検査で結果陽性と出た。
これで私も立派なコロナ感染者となる。
薬は解熱剤のみ。。熱で辛くなったら飲んで下さいとのこと。
辛さは人それぞれで発熱は体がウイルスと闘っている証なので私は38.5度までは耐えることにした。
熱で頭が痛かったり関節が痛かったり意識が朦朧としたりで意識がある時は辛く早く眠りにつきたいと願うばかりの日々が続く。
昼も夜も日にちの感覚までもなくなりただ熱にうなされる。
検温の最高は39.2度。。解熱剤の出番である。
解熱剤を飲めば1度は確実に下がるので実に楽である。
楽と言っても38.5度ぐらいはあった。
1日に2回保健所から電話がはいる。
自動音声で検温、血中酸素などを自分で入力するパターンと看護師からの応答の2パターンある。
自動音声は朦朧としているので入力を間違えてしまうのだが訂正が出来ない仕様なのでそのまま通話を終わらせること度々だ。
看護師からの応答ではいくつか質問したこと得たものがある。
一つは、、、ホテル療養の件
今ホテルの空きがないので無理
私が考えるにパラリンピックの関係者が都内のホテルを利用していることが原因だと思う
今年初めコロナ感染した近所の人はホテル療養していたので。。。。
2つ目は、、、危険な時は119番???
感染者がピークの時だったので救急車お願いしても救急車の空きがなかった時期があったのだ。
私が思うに救急患者(コロナ感染者)を乗せたはいいが搬送先の病院が決まらず救急車が患者乗せたまま待機する時間が多くなりしまいには搬送出来ず自宅に戻るパターンが多くなったと考えられる。
そんな不安な毎日だったが8/28日には熱も下がり始め体的には非常に楽になって来た。
8/23から寝込んで6日間、口にしたのは水と写真展のお祝いでロケアシの木間塚くんからいただいた桐の箱に入った高級マスカットのみだった。
このマスカットが超美味しかった。命を繋いだマスカットだと思う。。
そして30日には自宅療養の解除になったのだが体の調子は最悪で外出どころか熱がないだけで一日中ベットの上である。
ベットから出ると目が回り、何かする気力もなく辛いだけの毎日だ。
そんな日が4日間続き少し調子が良くなって来たので9/3写真展に在廊しようと思い出掛けたが気持ちが萎えて新宿駅で降りずに家に戻った。
結局在廊できたのは9/4と最終日の9/5の2日間だけであったが2日間だけでも在廊できたのは不幸中の幸いと思った方がいいだろう。
また、コロナ感染してこの世の中から間引かれることのなく命が有るのだから御の字だと思う。
苦味、渋味が強くなる味覚障害も今もあるがコーヒーや日本茶が飲めなかった9月初めに比べれば順調に回復している。
以前から気になっていた二子玉にあるレストラン「100本のスプーン」に行ってきました。
ここの人気メニュー大人のお子様ランチが食べたかったのだ。
ワンプレートに少しずつ色々な食材(私が特に好きなハンバーグ+エビフライ+オムレツ)が楽しそうに盛り付けてあります。
食べる喜びが増すウキウキプレートだ!
ご馳走様でした。。
旧ブログでアップしたんですがバグで削除されていたいので一部回摘んでアップしました。
新年明けましておめでとうございます。
本年もとことんよろしくお願いいたします。
契約しているサーバー会社が今まで使っていたブログのサポートを打ち切ったようで昨年9月ごろから旧ブログにアップ不能と事態となりましたのでこちらにて再開いたします。
旧ブログ http://sawada-studio.com/blog/
よろしくお願いいたします。
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